【㈲可児設備 社長の週末日記vol75】徳川家康

徳川家康

大河ドラマ「どうする家康」ではついに徳川家康が天下人にむかって走り出しました。

徳川家康ほど危機管理のできた武将はいないと思います。

豊臣秀吉が亡くなったと知ると、すぐに嫡男秀忠を江戸に帰します。

秀吉の死で混乱が生じても、嫡男秀忠が生き残れば徳川家は生き残れる判断したためです。

また隠居した後も、静岡の駿府城で全国ににらみをきかせました。

たとえ江戸将軍家が攻撃されても、駿府城から采配を振るためです。

また御三家(水戸茨木、尾張名古屋、紀州和歌山)から優秀な人材を将軍にすえるようにしました。

これもどこかが絶えても、他が徳川を継いでくれると考えたためです。

御三家の中で尾張名古屋は日本の中心なのでまだ分かりますが、どうして水戸と紀州に御三家を作ったのでしょうか?

水戸の近くには徳川家康の亡骸を祀る日光東照宮があります。

北東は鬼門とされていて、江戸を守るため北東方向にある日光に徳川家康は自らの亡骸を葬ったと言われています。

また中国地方、九州地方から攻められた時、陸路は大阪城、水路は紀州で防御しようと考えました。

このような徳川家康の徹底的な危機管理が、260年以上続く徳川幕府を作った思います。

豊臣秀吉は子どもに恵まれず、最後は養子や親戚ともめました。

さらに織田信長は少ない家臣と、しかも嫡男を連れ本能寺に滞在したため、明智光秀に嫡男ごと討たれ、織田家は滅んでしました。

危機管理は必要ですね。

それでは来週も皆さまが笑顔で健康に過ごせますように。

可児修司

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